DANCEは非日常,でも非常識ではない

ダンス界には、その世界だけのルールというか、決まり事が存在します。

それがプロの集団組織になると、余計にその程度に拍車がかかります。

日本のプロダンス界は、日本舞踊の特殊社会を色濃く継承しているように思えます。

だから法外な値段と御礼で、どうとでもなる社会構成であるようです。

だから例えバブルが崩壊しようと、そんなことはお構いなしに、「ウチはウチ」とばかりに、客から搾取を続けていました。

それがどうやらここへ来て、搾取システムの教室が、徐々に姿を消しているという、報告が入ってきています。

それはそうなっても不思議ではないと思います。

何故なら日本ダンス界の「非常識」は極まりないものでしたから。

昔はその非常識を続けられるのが、上客であるという、生徒のステータスだったのですが、その構図は脆くも崩れ去ったということなのでしょう。

それでは本場の英国はと言いますと、「適正価格の模索」を昔から続けているようです。

もっともその「適正価格」も、当人の主観によるものですから、「この先生がこの値段?何を考えているんだ?」という疑問が、生じる場合もありました。

昔は世界チャンピオンでさえ、年に千円単位の値段上昇であったようです。

その頃の日本チャンピオンは、まさにこの倍の値段を、臆面もなく搾取し続けて、その非常識な世界故の、理由付けをしてきました。

しかし英国の適正価格を模索する社会は、時代の流れと共に、比較的アップtoデイトに、値段設定をしてきました。

その意味では「常識的」であったと言えます。

しかし彼等の踊りは「非常識的」でありました。

日本の踊りの好みや審査が、日本人にとって「常識的」であったのとは、対照的です。

「非常識」な彼等の踊りは、「宗教観」「世界観」「宇宙観」等によって、構成されておりました。

だからそれを学んだ私の、踊りや行為や生活が、日本人にとって非常識的と映るのは、仕方のないことです。

しかし本来舞踊というものは「超常識」の世界です。

それを学ぶということは、「超能力」を身に付けていくことと一緒です。

「日本の常識は世界の非常識」と言う言葉が昔流行りました。

しかし今は「日本の超常識が地球の常識」と考えたほうが良いでしょう。

我がKDSも「超」常識で、決して「非」常識ではありません、、、。が